光慧山 妙覺寺[眞宗本派]
妙覺寺の沿革と変遷
當寺は天正六年淨榮の開基する所にして寺號を公稱せしは寛永十二年十二月二十六日二世淨賀の時とす、事は妙覺寺年代記に詳かなれば左にその全文を轉載すべし。
人皇百七代正親町院天正之初有二干宇佐崎邑宗左衛門尉者一樹二心弘誓佛地一歸二骨於眞宗一其頃也本寺與二織田一合戰而天下大騒動矣於レ是宗左衛門尉相ニ具眷屬一馳二本寺一不レ惜ニ身命一○ニ忠精一以有ニ成功一天正六年之春依ニ光佐門跡一落髪矣則於ニ宇佐崎里一建二草堂一安二名號一成二知恩報德之營一名二淨榮一也其子亦名二宗左衛門一嗣レ父敬二歸三寳一文祿元年之春因二顯如上人一除髪名二淨賀一再二基草堂一成二永代念佛之道場一也寛永十二年十二月二十有六日安二置木佛本尊一寺號賜二妙覺寺一也。
淨榮以來數回本堂の改築及び増築あり、即ち左の如し。
一 寛永七年八月暴風のため草堂損す。同年十一月八日假堂(四間半に二間)を作りて本尊を安置す、正保二年九月十八日本堂(五間に四間)再建成就、十一月十五日供養法會あり、延寳三年八月本堂を五間四面に改造す、元祿五年六月九日代々寺地御除地となる、明治九年夏大雨のため本堂棟木大破損す、翌十年春家根替全部大修繕す。
内陣本坐一等にして檀家七十戸、境内二六四坪あり、内一二五坪は官有地也、亀山本德寺の末寺なりき。
【蓮池の伝承】
當寺の前なる蓮池は新田義貞の東に退く時顔を洗ひし池なりとて有名なりしも今は埋めてなし、惜い哉。
(出典:飾磨郡誌)
境内の道標と地域資料
光鸞山妙覚寺は、浄土真宗本願寺派の寺で、天正6年(1578年)建立された。本尊は阿弥陀如来この妙覚寺の前にあった蓮池は新田義貞が東に退く時に顔を洗った池として有名である。
また、妙覚寺の境内には宇佐崎の道標が移設されている。旧道と国道250号と交差する丙288の11番地に白浜青年団第八支部が建てたものである。
【道標の記述】
右は、八木、大塩、左は、糸引、御着塔等を示している。折損しているが、現在、妙覚寺境内に移設されている。もう一基は、宇佐崎公民館前に建てられていたが、現在は所在がわからなくなっている。
(出典:灘地区の地域資源)
