大年神社(祭神:素戔嗚尊)
歴史的背景と由緒
【寛政十年の宇佐崎組明細帖】
右の社地御證文は無御座候へごも前々より御除地にて御座候、社建立年暦の儀相知れ不申候、以前は松原八幡宮の末社のやうにも申傳候、掃除人前々より宇佐崎村三太夫相勤申候、此三太夫は八幡宮へ由緒御座候由にて八幡宮御朱印六十石の内畑高一斗六升八正寺より配分請申候尤八幡宮祭禮鬼會にも罷出申候、祭日に至り燈明七五三張の儀は掃除人より仕來り候
(出典:飾磨郡誌)
祭神の由来と地域活動
天照大神の弟君といわれる素戔嗚尊をお祭りしてあり、命が新羅から船材を持ち帰ったことから、植林の神様である。また神鶴が五穀の種を運んできたことから、農業の神様でもある。
松原八幡さんは60石の領地を得ていたが、大歳神社掃除人"孫太夫"はその内1斗6升が給付されていたとのことである。中村自治会は、毎年11月にお祀りをしている。また宇佐崎からも信仰の厚い方たちが12月14日に沢山お詣りになります。
(出典:灘地区の地域資源)
詳細な社記と伝承
創立年代は不詳である。社殿は縦が一間三尺、横が一間三尺。姫路市白浜町の宇佐崎川の川口に近い畔に位置し、現在も崇敬者が多い。姫路市南部の現在の灘地区に大年神社は数社あるが、どの神社も古く、創立年等詳細は不明である。棟札によって再建や修築の年次が分かる程度である。
古老の言い伝えでは、江戸時代この神社のお世話をしていた孫太夫という人が、松原八幡神社の御朱印領地六十石のうち、畑高の一斗六升をもらって維持してきたものと言われている。この孫太夫とは、松原八幡神社の神官の取りまとめをしてきた河野一族の人かと思われる。
戦国時代、播磨の赤松円心は松原八幡神社を崇敬し多くの荘園を寄進した。千石千貫と称された社領を管理したのは、四国伊予から赤松氏を頼ってやって来た河野氏であったと考えられる。秀吉によって社領が削られ、江戸時代は松原山八正寺によって管理された中、領内の大年神社はこの孫太夫によって守られ現在に至っている。
(出典:姫路の神社 平成17年10月28日発刊)
由緒
創立公称等年月不詳。其他古老口碑ニ存スルコトモ無之。
社殿間数 縦一間三尺 横一間二尺
境内坪数并地種 二十七坪 官有地
村翁夜話集ニ
大歳社(社地御除地)(中村持)神霊 素戔嗚尊(磁)
右社掃除人孫太夫義、松原山八幡宮ヘ由緒之侯者ニテ、御朱印六十石ノ内畑高壱斗六升八合正寺配分受申候……トアリ。懸庁迄距離里数十五里二十九丁。
(出典:白濱村誌・社寺之部 大正5年7月調)
