石手神社(いしてじんじゃ)

石手神社 全景

神社概要

  • 祭神:孝霊天皇第三皇子(伊予皇子)
  • 創立:建武年間(1334~38年)
  • 勧請者:河野通元(伊予国より来住)
  • 構成:奥の権現、口の権現(三社権現)の総称「四社権現」
  • 例祭:毎年12月の第1日曜日

石手神社の由緒と河野一族

宇佐崎地区東部にある石手神社は、四国八十八ヶ所霊場の名刹、伊予国(愛媛県)松山の石手寺にちなんで名づけられたものと言われている。祭神は孝霊天皇第三皇子(伊予皇子)で、伊予国から当地に来住した河野通元が、建武(1334~38年)の頃に、伊予石手寺より分霊を勧請奉祀したものと、「兵庫県飾磨郡誌」には記されている。

宇佐崎地区の住民は、この石手神社を権現さんと呼んで親しんできましたが、厳密にいいますと石手神社には、「奥の権現」と「口の権現」とがあり、さらに「口の権現」は三社権現の総称なので、石手神社は四社権現である。

「奥の権現」は神社境内の奥の方に鎮座していたので、このように呼ばれ、これが石手寺から分霊したものである。御神体は玉の石で建立者は通元とも伝えられる。
これに対して「口の権現」は神社境内の入り口近くに建っていたのでこのように呼ばれ、通元の死後、子の通元が父通忠とその二人の家来(出淵・桑原)の霊を個別に祀った祖霊社で小宮堂のような社が、3社境内の入り口近くに建っている。

境内の諸社と石碑アーカイブ

石手神社改修記念碑・碑文記録(昭和46年)

記念碑 西面

【碑文:西面】
伊予国豪族河野通有ノ長男通忠八土佐長曾我部氏ニ敗レ当地ニ来リ当地河野一族ノ始祖トセラルル 通忠ハ当初八幡社領地ニ寓シタガ後ニ宇佐崎ヲ開基シコレヲ支領スト記録ニ見ユル 建武年間其子通元八同家祖神霊帝第二子伊予皇子並ニソノ父通忠ノ霊ヲ伊予国石手寺ニ勧請シ同家ノ祭祖祖霊ノ祠ヲ此処ニ営ミ併セテ通忠ノ骨族タル出淵次郎桑原平六ノ霊ヲモ合詞シテコレヲ石手神社ト号シタ 爾来幾度カ堂宇ノ修復ヲ重ネ祭祀ヲセルコトガナカッタ時ニ大正ニ及ビ堂宇荒蕪シ昭和三年大改修ヲ営ミ今茲ニ昭和四十六年再ビ大改修ニ及ブ 其工竣工ニ当リ社名縁起並ニ改修ノ業ヲ誌シテ示標トスル
昭和四十六年三月

歴史考証・補註

●「土佐長曾我部ニ敗レ」は誤りである。伊予河野氏が土佐長曾我部氏と戦うのはずっと後のことで、通忠の時代には長曾我部にそのような勢力はなかった。

●「孝霊帝第二子」は「第三子」の誤まりで、「兵庫県飾磨郡誌」の記載も同じ誤まり。

●「石手神社ニ勧請」は「石手寺ヨリ勧請」の旨で、他にも文章表現上の不手際が少なくないのが惜しまれる。

(出典:姫路市姫路東土地区画整理事業完工記念誌「播陽灘の里」より)