恋の浜城(松原構居)

恋の浜城 跡地現況1 恋の浜城 跡地現況2

「城ノ元」と呼ばれる現在の跡地周辺

城郭の概要

  • 名称:恋の浜城(別称:松原構居)
  • 所在地:白浜の宮駅北東、宇佐崎と中村の隣接部(字「城ノ元」)
  • 築城時期:康暦2年(1380年)頃
  • 主な城主:三木通近、三木通重(三木氏)
  • 構造:周囲に水濠をめぐらせた豪族屋敷形式

城の歴史と三木氏の変遷

 現在の白浜の海岸は、中世の昔「恋の浜」と呼ばれたこともあり、この地にあった城が「恋の浜城」といわれている。起源は康暦2年(1380年)に伊予豪族河野氏の一族で三木通近が足利幕府三代将軍足利義満によって、播磨の当地付近の地頭職に任ぜられ、讃岐(香川県)の三木郡から当地に入ってこの城を築いたのに始まる。

 嘉吉3年(1443年)3代目通重が英賀に移されるまで60年間に渡り、在城したと伝えられている。その後、通重が京都在住中、部下の葛井源内が、頼足八十郎と争い、その際、恋の浜城は焼失し、通重の妻子は飾万津の光明寺に避難した話がある。その後、嘉吉の乱、赤松祐尚に加担したため、赤松一族と共に、灘野の亀の山城に滅亡した。

恋ノ浜構居の地形と周囲の地名

 松原神社東北約五丁許、字城ノ元といふ二町歩餘の地あり。一部分は周囲よりは稍高く、石垣の跡あり。其周囲に丸町、筒れ、三の坪、三斗長、西琵琶、東琵琶、長畑、今道、菖蒲池、大上根等の地名あり、合して約十町歩あり。城ノ元は、昔城のありし地にして、周囲の地は其構内の地にして、大上根は軍の勢揃ひをなせし所、菖蒲池は菖蒲池のありし所、筒れは武具を蔵せし所等の話を説き得(る)者あり。

【城主の記録】
一、青山主膳なるもの小寺家を横領せんとし時、青山討伐の加勢中に宇佐崎の内藤某なるものあり、と於菊皿屋敷物語中に見ゆ。
二、白濱村旧家として知らるゝ河野氏(伊徳屋)は当時の領政を司りしものか、今尚八幡神社の祭典には政府と印せる灯提を神社に捧ぐる慣例を守りつつあり。
三、八正寺の主僧、社領及び八幡社務を司りしは明なり。

(出典:白濱村誌 大正5年9月調 / 飾磨郡誌)