河野南々(葦屋楠々)

河野南々 肖像・資料

人物プロフィール

  • 氏名:河野南々(こうの なんなん)
  • 号:葦屋(あしや)、楠々(なんなん)
  • 本名:富助(とみすけ)
  • 出身:白濱村ノ内宇佐崎
  • 生年:天明8年(1788年)頃
  • 没年月日:嘉永7年(1854年)8月9日(行年66歳)
  • 法名:妙解院通雄日浄南々

生涯と事績

葦屋と称する。石田五芳の門下で俳道を研究する。五芳の教えによりその妙義を極め、遠国より教えを乞う人も少なくはなかった。南々は京阪地方の名士を歴訪し研究を重ね、また易者としても諸方を歴遊し、後に虚無僧となって諸国を漫遊した。嘉永7年(1854年)8月9日、66歳にて死去。摂津能勢の妙見山への廻文俳諧の連歌の版木が現存している。

(出典:灘地区の地域資源 / 灘の喧嘩祭り絵巻)


今ハ氏ノ孫實之助氏ノ代トナレリ。長ズルニ及ビ、文雅園五芳氏ニッキ俳諧ヲ研究セリ。生来斯道ニ趣味ヲ有セル氏ハ、五芳氏ニヨリテ愈々其ノ妙義ヲ極メ、遂ニハ出藍ノ誉ヲ博スルニ至レリ。サレバ、同志ノ遠方ヨリ尋ネ来リテ教ヲ乞フモノモ少カラズ、氏モ亦京都、大坂、地方ノ斯界ニ名アル人ヲ歴訪シテ研究ヲ重ネタリ、氏ハ又、易ヲ好ミ、易者トナリテ諸方遊歴シ、或ハ虚無僧ニ身ヲヤツシテ諸方ヲ遊歴セリ。嘉永七甲寅八月、行年六十六才ニシテ歿ス。

氏ノ俳句、手跡等現存スルモノ多シ。又、法華山麓「馬のあしがた」ト云フ所ニ氏ノ墓碑アリ。此レ、其ノ地方ノ同志集リテ記念ノタメニ建テタリトカ。

(出典:白濱村誌・人物吉城跡地学之部 大正5年9月調)

辞世の句

「月の身にしたればねよが遊ぼうが」

終世風流閑雅を以て日を送れる南々の、臨終に当りても尚且悠々たる其人物の程もうかがい知るべし。

迴文俳諧之連歌

南々ーに楠々に作る。通称通雄、葦屋と号す、本郡白濱村字宇佐崎の人、長ずるに及びて五芳の門に入り俳道を研究せり。杖の跡と題し摂州野勢の妙見山へ遊びし時の紀行、並に迴文俳諧の連歌の版木は今尚同村河野實雄之を保存せり。又法華山馬の脚がたといふ所に子の句碑あり、碑面に曰。

たはつきかなひる日なし壮若親抱て○ささむ爲躰
艸くつりと取りつつく作苔を琵琶坂に荷友わひ置
豊島座車に丸く座込まして冬乏し葛家は安く 結ふ
村つたへとや宿隅つらむ松の木かけた竹垣のつま
氣積をのびよ彌生の折もつきみな跳たつふりふつた下は浪
東風登身正しい兒ははかりも急度時守か母
むかひ人は年寄よしと果彼岸きつしりとまとひも一間とりし月
橋のしまり職苅ましの芝長さきの鮭今朝の寄肴
手練熊銃砲ほつてまくりたて鳴見つつ遙にかるは堤来し
もときか師走はしかき友汐と眞水で手積間違し
潮か河に大分吹た俄かせ新潟はむら雲くらむ銀火に
供幣年代記聞た旨とく園もとめしを惜めとも更
月軒端疾から斯と掃退つ從へた花の士の名は絶かたし
手に野守州採り物にて節句祝ひの伸はいくつせ
風流雄か望み抽みその香を冷みはりま南々獨吟
儈なか○聲高なうそ   莨?
琴の名は整うなとと
雪虹かすみ見透しにきゆ
白髪の出代馬鹿で呑からし
留守の人まで手まとひのする
誰てうたかいたう待しつつ
顔かさし笠賢しさか外

(出典:飾磨郡誌)

河野南々 筆蹟

河野南々 筆蹟

河野南々の直筆資料。その風流で閑雅な性格が表れた書として、現在も大切に保存されている。

(出典:灘中学創立25周年記念誌)