塩田

宇佐崎の塩田

 宇佐崎、八木の南部の約102.8haは、昭和46年(1971年)までは塩田で塩を生産しており、宇佐崎・八木の人々が主としてその仕事に従事していた。

 しかし製塩の方法が大幅に改革されて、イオン交換膜製塩法の出現により、広い塩田は不要となり、又価格的にも合わなくなったので昭和46年(1971年)に塩田は廃止になった。その後灘南部土地区画整理事業が行われ52億9800万円の事業費が投じられて、平成元年(1989年)3月31日完成した次の土地が新しく出来た土地で、南より工業地、準工業地、宅地に分別され25m幅の道路が開通しその北側に緩衝地帯を置いて住宅地を保全している。
即ち宇佐崎南1,2丁目、中1,2,3丁目、木場前7反町、前中町、十八反町である。

尚、八木塩田の塩生産実績は
入浜式塩田(耕原合資会社を除く)
昭和25年(1950年) 5,175t
流下式塩田転換後
昭和44年(1969年) 20,055t である

塩田開発の歴史

大澪地区(高須、北浜)宝暦中期1400年代頃
前七反浜慶長1600年頃
前六反浜、十八反浜寛永2年1625年
沖新浜寛文8年1668年
戎新浜文政の始めから明治初期1820年~1870年
万代新田明治23年(1890年)昭和4年(1929年)

製法方法の変遷

採鹹工程

藻塩法 揚浜式塩田
鎌倉末期~室町初期
1,300年~1,400年
入浜式塩田
江戸初期~
1600年
流下式枝条架
昭和27年~32年
1952年~1957年

煎熬工程

石釜
戦国、江戸
1600年
平釜(鉄釜)
明治初期
1870年
蒸気利用、真空式
昭和30年
1955年
イオン交換膜
昭和45年
1970年

(出典:灘地区の地域資源)

塩田風景・記録写真