立行山 常住寺[日蓮宗]
常住寺の沿革1
當寺は寛永十五年、一心院日進の開基とす。同村妙覺寺延寳三年の記錄には常住寺は寛永十二未年の開基と見え、姫路妙行寺來歴には日運の常住寺を開きしは三十二歳の時也といふと見えたり。
日運幼にして姫路妙立寺二世實成院日怡の徒弟となり十九歳にして同地妙行寺に入り後同寺の四世を襲ぐ、常住寺は寛永十五年日運が妙行寺在職中晩年の隱居所として開きし所なりといふ、其後享保十六年八月十三日撞鐘を新鑄し、文化二年十五世日長本堂を改築して現時に至る。
開祖日運上人の建立せし堂宇は代々修理を施さず、星霜凡そ百五十年を經たり、文化二年十五世日長上人信仰上大に害あるを歎き徧く淨材を募り現時の堂宇を再建せし也。(寺記)
前住日視の世飾磨町中島の檀徒は同村に説敎場を設け後該説敎場を寺となすに及び本山直末となり當寺を離檀せり。
(出典:飾磨郡誌)
諸資料の記録(補足)
- 一、妙行寺第四世一心院日運は宇佐崎村常住寺を開基す。(播磨鑑)
- 一、第四祖一心院日運大德は當地妙立寺日怡の御弟子也。眞門に歸伏して寛永十五寅年(○本のまま)九月御入寺、同二十一申年御歳三十三の時撞鐘造立、是亦道場を開く、宇佐崎村常住寺是也、三十二歳の御時也といふ、正保四亥年五月九日三十六歳にして歸寂。(姫路圓修山妙行寺來歴)
- 一、當寺開基日運上人は姫路上寺町妙立寺第二代實成院の弟子にして、寛永十五寅年九月十九歳にて下寺町妙行寺に入院、寛永二十未年二十七歳にて當寺を建立し、三十三歳にて鐘を造立す、其後正保四亥年五月九日三十六歳にて入寂。(寺記)
- 一、當寺時鐘つき始事
安永八亥年七月より毎年貳百目つゝ役處より納之永代不易者也。
(當寺十五世日長時代 世話主 置盬茂七郎 鹽壚)
(出典:飾磨郡誌)
常住寺の沿革2
本寺は日蓮宗で、一塔両尊四菩薩をご本尊とする。当寺は寛永15年(1638年)一心院日運が開基した。
妙覚寺の延宝3年(1675年)の記録には、常住寺は寛永12年(1635年)未年の開基とあり、姫路妙行寺来歴には、日運が常住寺を開いたのは、32歳の時とある。
日運は幼い時、姫路妙行寺二世の實成院日怡の徒弟となり、19歳で妙行寺に入り、後、同寺の四世をついだ。常住寺は寛永15年(1638年)日運が妙行寺に在職中、晩年の隠居所として開いたところと言われる。
その後享保16年(1731年)8月13日に撞鐘を新鋳し、文化2年(1805年)、15世の日長が本堂を改装して現在に至る。
開祖日運上人が建立したお堂は代々修理をせず、およそ150年経った文化2年(1805年)に15世日長上人が、信仰上大変困るので寄付を募り現在のお堂を再建した。
(出典:灘地区の地域資源)
