口伝 宇佐崎が黄色になった日
旧来の灘のけんか祭りにおいて、鉢巻や紙手の色は決まっているわけでは無かった。
1966年(昭和41年)に姫路大博覧会を開催することが決まると、当時の岩見市長から会場で屋台練りをして欲しいとの要請があった。
松原八幡神社氏子総代会でその要請を承認した際に各村の色、つまりタウンカラーを決める提案があり、何色にするかは各村に委ねられた。
この時、松原八幡神社を擁する白浜町を構成する3村(松原・中村・宇佐崎)はそれぞれ色の三原色(赤・黄・青)を充てるように決まったという。
当時、宇佐崎村の総代であった濵田長蔵氏は、同じく副総代であった博識で知られる土師日出一氏に相談をしたという。
「それは、絶対に黄色にせなあきまへん」
濵田氏の相談に土師氏は即答したという。理由を問われた土師氏は続けて答えた。
「黄色は帝王の色である」
古来より「万物は木[青]・火[赤]・土[黄]・金[白]・水[黒] の5つの元素から成り立つ」という五行思想があり、これは古代中国から伝わった説です。
四神(青龍[青]・朱雀[赤]・白虎[白]・玄武[黒])を束ね、中央に坐するのが「黄龍[黄]」なのです。
つまり数ある色の中で頂点を意味する黄色こそ宇佐崎に相応しいという提案でした。
土師氏の提案を是とした宇佐崎村は「全村の中で宇佐崎が一番に黄色を取った」(本人談)という。
この日から、宇佐崎の紋は正式に「黄龍」となり、露盤にも彫られているように四神を従えるようになったのです。
宇佐崎屋台の宮入を見ながら、この話をした土師氏は「宇佐崎の黄色が一番華がある」と満足そうに笑った。